YOSIXサブカル日誌

偏愛する音楽と映画についての独り言

映画「007/ノー・タイム・トゥ・ダイ」の保守性と飛躍するアジア系監督

遅ればせながら007シリーズ最新作「007 ノー・タイム・トゥ・ダイ」の感想をば。★★★

初めて007シリーズに興味を持ったのは「アメリカン・ビューティ」(99)のサム・メンデス監督が撮ると聞いた「007 スカイフォール」(2012)から。急いでダニエル・クレイグが新しいボンド役となった「007 カジノ・ロワイヤル」(2006)と「007 慰めの報酬」(2008)を予習してから劇場に向かいました。結果、大興奮。遡って見ていた昔の007ってこんなに面白かったっけ?となりました。「スカイフォール」に続いてサム・メンデスが撮った「007 スペクター」(2015)もそこそこ面白かったです。

Sam Mendes

今回その続編をサム・メンデスではなく日系監督のキャリー・フクナガが撮ると聞き、またまた大興奮!キャリー・フクナガはHBOドラマの「TRUE DETECTIVE」シーズン1(2014)を見てからというもの今後の映画界を担う大物になると確信していたので、コロナによる度重なる公開延期を嘆きながらも期待は大きかったのです。「TRUE DETECTIVE」シーズン1の画期性とは、90年代に若手俳優として活躍したマシュー・マコノヒーウディ・ハレルソンが演技派として復活する契機になった作品であることのみならず、広大な自然の景観を俯瞰するスケール感。自然の景観もキャストの一員であるかのように語りかけるものがあり、とてつもなくドキドキするのです。フクナガ監督自身も画像のようにクールなイケメン。

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背景情報はさておき、期待が大きかった「ノー・タイム・トゥ・ダイ」の本編ですが、やたら金の掛かった派手さやこの監督の得意な壮大なスケール感を楽しむ一方で、どんどん冷めた目で見てしまったというのが正直なところ。その要因としては、①日本文化のモチーフ(能面、日本庭園、着物など)が悪の象徴としてステレオタイプ的に使われているところや、②どこまで行ってもこの映画は白人カップルの話なんだな、と思わせる多様性のなさで、ひと昔前の世界観から抜け出せていないところ。①の東洋=悪の権化的なイメージは監督自身も日系であり、どういう思いで使用したのか一度本人に問い詰めてみたいところ。日系といっても純アメリカ人なメンタリティで、ステレオタイプについて考える余地はなかったのかもしれない。或いは007シリーズ原作のイアン・フレミングの世界観自体が旧式な価値観に基づくものであり逸脱を意図してなかったのかもしれない。どちらにせよ、とても古臭い価値観に基づく映画の側面が強調されているのように感じてしまいました。この点は、くしくもこの映画が多分に意識しているであろうマーベル映画が黒人キャストがメインだったり、女性ヒーローが活躍するのと比べてしまうと、さらに同時代性との乖離が浮き彫りになってしまいます。あくまでも白人の大人(老人?)が見て安心できる世界観に留まっているのです。サム・メンデスが監督した前2作も基本は同じ世界観であるにも関わらず今回強くそう感じてしまった要因は何なのか、過去作を再見するときが来たら検証してみたいと思います。

残念ながら期待に反して個人的にはあまり楽しめなかったキャリー・フクナガの007ですが、この監督の動向には引き続き注目していきたいと思っています。また、筆者が昨年見た映画のナンバーワンで涙が止まらなかった「ミナリ」の監督リー・アイザック・チョンは韓国系の監督。またオスカーを受賞した「ノマドランド」のクロエ・ジャオは中国系。上記の監督全員の作品から自然光の利用が上手いテレンス・マリック監督の影響を色濃く感じます。現在活躍するアジア系監督がマリックを崇拝しているのは単なる偶然でしょうか?上記3監督の動向には引き続き注目したいと思います。